国民の命を守る制度か、製薬市場を守る制度か――WHO・Gavi・厚労省・国会が作った「断れない公費市場」
日本政府は、国民の生命と健康を守るために存在する。
厚生労働省は、医薬品の安全性、有効性、価格、費用対効果を厳しく評価し、国民の負担が過大にならないよう管理する責任を持っている。
国会には、政府と行政機関がその責任を果たしているか監視し、法律と予算を審査する役割がある。
では現在、日本のワクチン・予防接種政策は、本当にその原則どおりに運営されているのだろうか。
WHOが国際的な推奨を出す。
Gaviが資金と需要を集め、市場を形成する。
製薬企業がその需要に対応した製品を供給する。
厚生労働省が国内導入の制度を整える。
審議会が定期接種化を検討する。
国会が法律を改正する。
自治体が公費で実施する。
一見すれば、感染症から人々を守るための国際協力と国内行政の連携である。
しかし、この一連の流れを別の角度から見れば、全く異なる姿が浮かび上がる。
それは、
国際機関が疾病の優先順位を決め、製薬企業が製品を用意し、日本政府が法律と公費制度を整え、自治体が対象人口へ一斉に提供する巨大な公費市場
である。
しかも、この市場では、通常の商品市場に存在するはずの「高ければ買わない」という選択が働きにくい。
国民本人は価格をほとんど意識しない。
自治体は国が決めた定期接種を独自判断で拒みにくい。
行政担当者はWHOの推奨に逆らうことを恐れる。
審議会には、一定額以下であれば製薬企業から金銭を受け取った専門家も参加できる。
そして法律を作る国会は、この構造を十分に追及しないまま制度改正を通してしまう。
これは単なる医療政策の問題ではない。
日本の政治が、誰の利益を最優先して制度を作っているのかという問題である。
「100%売れる保証」とは、全量買い取り契約のことではない
「WHOが推奨した製品は100%売れる」
そう表現すると、政府が製薬企業と全量買い取り契約を結んでいるかのように受け取られるかもしれない。
もちろん、全ての製品が必ず全量購入されると決まっているわけではない。
しかし、ここでいう「保証」とは、契約書上の保証ではない。
政治的、行政的に採用を断れなくする構造による、事実上の市場保証である。
WHOが特定の予防手段を推奨した場合、日本の行政担当者は二つの選択肢を持つ。
一つは、WHOの推奨に従って導入すること。
もう一つは、日本独自の判断として導入を見送ることである。
形式上は、どちらも選択可能だ。
しかし、現実には責任の重さが全く違う。
導入した場合、後に効果が限定的だったり、価格が高すぎたり、予測どおりの結果が得られなかったりしても、
「当時のWHO勧告と国際的な専門家判断に従った」
と説明できる。
つまり行政担当者は、判断の責任を国際機関と専門家集団の中へ分散できる。
一方、導入しなかった場合はどうか。
その後に乳児の重症化や死亡例が報道されれば、
「なぜWHOが推奨していた対策を採用しなかったのか」
「防げた被害ではなかったのか」
「誰が不採用を決めたのか」
と追及される。
その責任を、一人の担当者、一つの部署、一つの審議会が背負わなければならない。
これでは、採用する判断と採用しない判断が、対等な選択肢であるはずがない。
採用には組織的な免責があり、不採用にだけ個人的・政治的責任が発生する。
この非対称性が存在する限り、WHOの勧告に法的拘束力がなくても、実務上は極めて強い導入命令に近づく。
特に日本の行政は、前例、国際基準、他国の対応を強く重視する。
自ら責任を負って国際的推奨に反対するよりも、国際機関の判断に従う方が組織的に安全である。
これを単に「日本人は流されやすい」と片づけてはいけない。
政治家と官僚が、自ら判断して責任を取る制度を作らず、国際機関の権威を責任回避装置として利用していることが問題なのである。
WHOの推奨は、誰に対する責任を持っているのか
WHOは世界的な公衆衛生を担う国際機関であり、感染症対策において重要な役割を果たしている。
しかし、WHOが日本の財政、地方自治体の実務、国民一人当たりの負担、日本国内の医療提供体制について、最終的な責任を取るわけではない。
WHOが推奨した対策を日本が導入し、数百億円規模の公費を支出した結果、費用対効果が想定を下回ったとしても、WHOが日本国民へ返金するわけではない。
導入後に医療財政が圧迫され、他の施策へ十分な予算を回せなくなっても、WHOがその政治的責任を負うわけではない。
それにもかかわらず、日本の行政判断では、WHOの推奨が極めて強い権威として利用される。
ここに政治の無責任がある。
WHOの科学的知見を参考にすることは当然である。
しかし、WHOの推奨をそのまま国内採用の根拠にするなら、日本政府は、
- 日本国内の疾病負荷
- 日本の出生数
- 季節性
- 医療アクセス
- 既存の治療体制
- 代替手段
- 製品価格
- 総予算
- 他の政策との優先順位
を独立して評価しなければならない。
WHOの権威を借りるだけで、自国民への説明責任を果たしたことにはならない。
国際機関を尊重することと、国の判断を国際機関へ丸投げすることは違う。
日本の公金で市場を作りながら、売り手も意思決定に参加するGavi
Gaviワクチンアライアンスは、低所得国の予防接種を支援する官民連携組織である。
途上国の子どもたちへワクチンを届けるという目的は、極めて重要である。
日本政府もGaviへ多額の資金を拠出している。
つまり日本国民の税金が、Gaviを通じて世界のワクチン調達、市場形成、供給体制の整備に使われている。
だが、Gaviは単なる慈善団体ではない。
Gavi自身が「市場形成」を主要な活動として掲げ、需要予測を示し、製造企業が長期的な生産計画を立てられるようにしている。
企業から見れば、需要が読めない市場より、国際機関が将来需要を予測し、資金を集め、各国への導入を支援する市場の方が圧倒的に魅力的である。
問題は、そのGaviの理事会に、ワクチン製造業界の代表枠が設けられていることである。
製薬企業やワクチン製造業界の事情を聞く必要はある。
供給能力、生産期間、原材料、設備投資、品質管理について、メーカーの専門知識が必要なことも否定できない。
しかし、専門家として意見を聞くことと、意思決定権を与えることは全く別の話である。
市場を形成する組織の理事会に、その市場で商品を販売する側が参加する。
これは、公共事業の発注方針を決める委員会に、受注を希望する建設会社の代表が議決権付きで参加するようなものである。
エネルギー政策を決める会議に、発電設備を売る企業が業界代表として加わるようなものである。
防衛装備の調達方針を決める会議に、兵器メーカーの代表が参加するようなものである。
他の分野なら、誰もが利益相反を疑う。
なぜワクチンだけは「官民連携」という美しい言葉で許されるのか。
日本はGaviへ公金を提供する側である。
それなら日本政府は、少なくとも次のことを要求すべきである。
- 製薬業界代表から議決権を外す
- 価格や需要保証に関する審議から業界代表を退席させる
- 利益相反の申告内容を詳細に公開する
- 市民、納税者、独立研究者の代表を増やす
- 市場形成によって企業が得る利益を検証する
ところが日本政府が、こうした問題を国民へ積極的に説明しているとは言い難い。
日本国民の税金を投入しながら、誰がどのように市場を作り、誰が利益を得るのかを厳しく監視しない。
これは国際貢献ではなく、政治による公金管理の放棄である。
ベイフォータスが示した「高額でも制度に乗せれば売れる」という現実
RSウイルス感染症予防に用いられるニルセビマブの商品名が、ベイフォータスである。
ベイフォータスはワクチンではない。
長期間作用するモノクローナル抗体製剤であり、体内に抗体そのものを投与する。
日本では保険診療上、重症化リスクの高い乳幼児等を対象に高額な薬価が設定されている。
定期接種として一般の乳児へ導入される場合に、現在の保険薬価がそのまま適用されると決まっているわけではない。
しかし、重要なのは、現在の価格が高いという一点だけではない。
高額な抗体製剤を、予防接種法という公費制度へ載せられるように法律そのものを変更したことである。
従来の予防接種法は、「ワクチン」を接種する制度として作られていた。
ところが抗体製剤は、従来の意味でのワクチンではない。
そのままでは定期接種に使用しにくい。
そこで政府は、「ワクチン」という従来の枠組みを「特定医薬品」へ広げ、一定の抗体製剤も予防接種制度へ取り込めるようにした。
政府側は、新たな技術へ対応するための制度整備だと説明するだろう。
しかし政治的に見れば、これは極めて重大な変更である。
従来は対象外だった高額医薬品を、自治体が実施する全国的な公費予防事業へ組み込む道を開いたからだ。
法律の壁があるなら、製品を制度に合わせるのではない。
製品を制度へ入れられるよう、法律の方を変える。
この手順を見れば、国民が疑問を持つのは当然である。
なぜ、価格と費用対効果の問題を解決する前に、制度上の入口を先に開けたのか。
なぜ、乳児全体への導入が本当に必要かという国民的議論より先に、法律改正を進めたのか。
なぜ、既存の母子免疫ワクチン、高リスク児への限定投与、季節限定の導入などを比較した上で、最も合理的な方法を選ぶという順番にならないのか。
政治は、製品導入を中立的に検討するのではなく、導入できる法的環境を先回りして整えているように見える。
法改正を通した国会は、十分な監視を行ったのか
法律を提出するのは政府である。
しかし、それを成立させるのは国会だ。
予防接種法の対象をワクチンから特定医薬品へ広げる改正は、厚生労働省だけの責任ではない。
法案に賛成した与党、野党を含む国会議員にも責任がある。
国会議員は、少なくとも次の点を問いただす必要があった。
- なぜ今、この法改正が必要なのか
- 具体的にどの製品の導入を想定しているのか
- 対象者は何人になるのか
- 年間総予算はいくらになるのか
- 費用対効果は基準内なのか
- 費用対効果が悪い場合、価格を下げさせる制度はあるのか
- WHO推奨とは独立した国内評価を行ったのか
- 関連企業から資金を受けた委員が審議に参加していないか
- 虚偽申告が判明した場合、再審議するのか
- 企業にどこまで需要保証を与えるのか
- 効果が予測を下回った場合、企業は返金するのか
こうした問いを十分に尽くさず、「新しい感染症予防技術へ対応するため」という説明だけで法律を通したのであれば、それは国会審議ではない。
官僚が作った制度を追認するだけの承認作業である。
国会議員は、医薬品の専門家である必要はない。
しかし、公費支出、利益相反、行政権限、国民負担を監視することは、国会議員の本来の仕事である。
「専門的なことだから厚労省に任せる」というなら、国会は何のために存在するのか。
専門家と官僚の判断を無条件に追認するだけなら、国会審議そのものが不要になってしまう。
厚労省自身が「市場原理が働きにくい」と認めている
定期接種制度では、市区町村が実施主体となり、対象者は公費または低額な自己負担で接種を受ける。
そのため、通常の商品市場のように、
「価格が高いので購入をやめる」
「高すぎるので別の商品を選ぶ」
という市場原理が働きにくい。
厚生労働省自身も、定期接種では費用の高低にかかわらず自治体が国の決定に従って実施し、対象者も価格を意識しにくいため、市場原理が働きにくい趣旨を資料で認めている。
これは極めて深刻な問題である。
市場原理が働かないと分かっているなら、政府が代わりに価格を厳しく統制しなければならない。
大量購入による値引きを要求する。
製造原価を検証する。
国際価格と比較する。
費用対効果が悪ければ導入を見送る。
対象者を限定する。
成果が出なければ企業へ返金を求める。
本来は、こうした強力な仕組みが必要になる。
ところが日本では、定期接種化は国が決める一方、実際の価格形成には自治体、医療機関、卸売業者など複数の契約が関与し、国が全てを統一的に決める制度にはなっていない。
需要は国が作る。
支払いは公費で行う。
自治体には実施を求める。
しかし、価格抑制の責任は曖昧なままである。
これでは、
利益は企業へ、支払いは納税者へ、責任は自治体へ
という構造になりかねない。
費用対効果が悪くても「検討中」で前へ進む政治
厚生労働省の資料では、ニルセビマブを含む抗体製剤の基本的な費用対効果分析が、一般的な基準とされる水準を超えたとされている。
これは、本来なら極めて重い事実である。
費用対効果が基準を超えたなら、通常の政治判断としては、
- 価格を大幅に下げる
- 対象者を高リスク児へ限定する
- 流行期だけに限定する
- 母子免疫ワクチンを優先する
- 独立分析をやり直す
- 導入自体を見送る
という選択肢を検討すべきだ。
しかし日本の行政では、「費用対効果について引き続き検討する」という表現で、制度整備自体は前へ進められることがある。
この「引き続き検討」という言葉は、日本政治における便利な責任回避表現である。
問題を解決したわけではない。
懸念を払拭したわけでもない。
価格が妥当になったわけでもない。
ただ、反対意見を「検討事項」として棚上げしながら、導入に必要な制度だけを先へ進める。
そして制度の入口が完成した後には、
「法律が既に整備されている」
「審議会で検討されている」
「国際的にも推奨されている」
という既成事実が積み重なる。
最後には、導入しない方が例外になってしまう。
これは中立的な政策形成ではない。
導入へ向かう一方通行の制度設計である。
厚労省審議会は利益相反を排除していない
厚生科学審議会の予防接種・ワクチン分科会等では、製薬企業から金銭を受け取った委員について、一定の参加規程が設けられている。
だが、その内容を見れば、利益相反を完全に排除しているとは到底言えない。
対象企業からの受領額が年間50万円以下であれば、委員は審議、発言、議決に参加できる。
50万円を超えて500万円以下であれば、議決には参加できないが、審議と発言には参加できる。
500万円を超える場合は原則退席となるが、専門的発言が必要と判断されれば、審議への参加が認められる場合がある。
これで本当に「利益相反管理」と言えるのだろうか。
49万円なら議決できる。
51万円なら議決できない。
人間の判断が、その2万円の差で突然中立になったり、偏ったりするわけではない。
そもそも利益相反とは、金銭で判断が買収されたことを証明する概念ではない。
金銭関係があることで、判断の公正さを国民が疑う合理的理由が生まれることを問題にする概念である。
製薬企業から講演料を受け取っている。
研究費を提供されている。
共同研究を行っている。
所属組織が企業支援を受けている。
将来も研究資金や講演依頼を期待できる。
こうした関係性がある専門家が、公費導入の可否を決める会議へ参加していれば、結論が正しくても疑念は残る。
政治と行政がすべきことは、
「専門家は誠実だから信用してください」
と国民へ要求することではない。
専門家が誠実かどうかに関係なく、疑念が生じない制度を作ることである。
議決権を外しても、審議への影響は消えない
厚生労働省は、一定額を超えた委員には議決へ参加させないことで、利益相反を管理していると説明するだろう。
しかし、審議会では最後の投票だけが重要なのではない。
専門家の発言は、会議全体の方向を決める。
疾病負荷をどう表現するか。
リスクをどこまで強調するか。
有効性の数字をどう評価するか。
副反応や不確実性をどの程度重視するか。
どの研究を信頼性が高いと評価するか。
費用対効果の前提をどう置くか。
反対意見を現実的な提案と見るか、それとも非科学的な意見として退けるか。
こうした議論を通じて、最終的な結論は形成される。
議決だけ外しても、結論形成には参加できる。
それは利益相反を排除したのではなく、最後の投票動作だけを外した形式的な対応にすぎない。
「覚えていなかった」で済む自己申告制度
委員の利益相反は自己申告を基本とし、企業側の保有情報と照合される。
自己申告だけよりはましである。
しかし、人間は過去の全ての講演料、原稿料、研究費、寄附金を正確に記憶しているとは限らない。
数年前の講演料を忘れていた。
大学経由の入金だったため認識していなかった。
所属組織への支払いだったため個人分と考えなかった。
企業側と本人側で集計方法が異なっていた。
こうした説明が出された場合、どこまで検証されるのか。
故意の虚偽なのか。
重大な過失なのか。
単なる記載ミスなのか。
誰が判断するのか。
どのような制裁があるのか。
現行の参加規程では、申告内容の補正や参加制限は規定されていても、故意の虚偽申告に対する自動解任、再任禁止、審議の無効化、再審議義務など、明確で強制的な制裁は十分に見えない。
申告漏れが判明しても、
「訂正しました」
で終わるのであれば、抑止力はほとんどない。
本来退席すべき委員が審議に参加していたことが後から判明した場合、その審議はやり直すのか。
既に定期接種化されていたらどうするのか。
既に数百億円の契約が動いていたらどうするのか。
こうした事態を想定した明確な手続がないなら、制度は善意に依存している。
国民の生命と巨額の公費を扱う制度が、関係者の記憶と良心に依存していてよいはずがない。
関連会社へ分散すれば基準を下回れるのか
参加規程は、基本的に個別企業ごとの受領額を基準に参加制限を判断する。
ここにも重大な疑問がある。
同じ企業グループに属する親会社、子会社、販売会社、開発会社、関連財団などから、それぞれ基準以下の金額を受け取った場合、どのように扱われるのか。
例えば、同一企業グループの複数法人から、それぞれ49万円ずつ受け取っていたとする。
合計額は大きくても、各社を個別に判定すれば、全て50万円以下となり得る。
もちろん、現実に企業が意図的な分散支払いを行っていると断定するものではない。
しかし制度とは、善人しか使わないことを前提に作るものではない。
悪用しようとした場合にも防げるように作るべきものである。
最終親会社が同じ企業。
同じ製品の売上から利益を得る法人。
同じ企業グループの財団。
実質的に企業の資金で動く外部団体。
これらを合算する包括的なルールがなければ、会社を分けるだけで参加制限を回避できる可能性が残る。
政治家と厚生労働省は、なぜこの穴を放置しているのか。
制度の抜け穴を指摘されてから修正するのでは遅い。
公費市場への参入を審議する以上、企業グループ単位での完全な開示と合算を義務づけるべきである。
個人への金銭だけを見ればよいのか
製薬企業からの資金提供は、委員本人の口座へ直接支払われるものだけではない。
大学。
研究室。
診療科。
学会。
財団。
研究班。
所属施設。
こうした組織へ資金が入る場合もある。
本人の所得ではないとしても、所属組織の研究環境が改善する。
研究員を雇用できる。
設備を購入できる。
学会活動を維持できる。
研究実績を積める。
その結果、本人の地位、評価、研究継続にも利益が生じる可能性がある。
にもかかわらず、「個人が自由に使える金ではない」という理由だけで、利益相反の計算から外れる部分があるなら、国民の疑念は消えない。
利益相反は、個人の懐へ現金が入ったかだけで判断すべきではない。
企業との継続的な関係によって、本人や所属組織が利益を得ているかを公開しなければならない。
政治家は製薬業界との関係をどこまで公開しているのか
審議会委員だけを厳しく見ればよいわけではない。
法律を作る政治家にも、同じ透明性が必要である。
製薬企業や医療関連団体からの献金。
政治資金パーティー券の購入。
業界団体からの要望。
議員連盟。
勉強会。
選挙支援。
天下りや人的交流。
こうした関係が政策形成にどの程度影響したのか、国民が検証できる仕組みが必要だ。
審議会委員には過去3年度の講演料を申告させる一方で、法律を採決する国会議員と医薬品業界との関係が十分に一覧化されていないなら、制度として片手落ちである。
法案へ賛成する議員についても、
- 製薬企業・関連団体からの献金
- パーティー券購入
- 業界団体との面会
- 法案に関する要望書
- 政策提言への関与
を、法案ごとに公開すべきではないか。
国民には接種判断について十分な情報開示を求めながら、法律を作る政治家自身の利害関係は見えにくい。
これでは、国民から政治への信頼が失われるのは当然である。
「専門家に任せた」という政治家の責任逃れ
医薬品や感染症の議論になると、政治家はしばしば、
「専門家の判断を尊重する」
と発言する。
専門知識を尊重することは必要である。
しかし、この言葉はしばしば政治責任から逃れるために使われる。
専門家は科学的知見を提供する。
だが、
- 何円まで公費を使うのか
- 他の政策より優先するのか
- 誰を対象にするのか
- どの程度の不確実性を許容するのか
- 利益相反をどこまで認めるのか
- 国民へどのように説明するのか
を決めるのは政治である。
科学的判断と政治的判断は同じではない。
費用対効果が基準を超えていても、公衆衛生上の理由から導入する政治判断はあり得る。
その場合は、政治家が国民の前に立ち、
「費用対効果は悪いが、この理由で導入する」
「年間予算はこれだけかかる」
「他の予算にはこの影響が出る」
「企業にはこの金額まで値下げさせた」
と説明しなければならない。
専門家会議の後ろに隠れ、「専門家が決めた」と言うのは、政治ではない。
責任の外注である。
国民の不信を「デマ」の一言で片づけるな
ワクチンや医薬品政策に疑問を持つ人々に対して、行政や報道機関はしばしば「デマ」「陰謀論」「反科学」という言葉を使う。
もちろん、明らかに誤った情報は訂正されるべきである。
科学的根拠のない極端な主張を拡散することも望ましくない。
しかし、国民が抱いている疑問の全てがデマなのではない。
製薬業界がGaviの意思決定へ参加している。
日本がGaviへ多額の公金を拠出している。
WHO勧告へ逆らう行政上の負担が大きい。
抗体製剤を予防接種制度へ入れられるよう法律が変わった。
費用対効果に課題が残る製品の制度整備が進んでいる。
審議会では一定額以下の企業資金を受け取った委員が議決できる。
一定額を超えても審議と発言には参加できる。
虚偽申告や重大な申告漏れへの明確な制裁が弱い。
関連企業をグループ単位で合算する規定が不十分に見える。
こうした事実を見て疑問を持つことは、反科学ではない。
むしろ民主主義社会の納税者として当然の態度である。
国民の不信を「理解不足」と責める前に、政府はなぜ疑われる制度を残しているのか説明すべきだ。
これは陰謀ではない――政治の怠慢である
ここまで述べた問題について、
「WHO、Gavi、製薬企業、厚生労働省、政治家が秘密裏に共謀している」
と断定できる証拠があるわけではない。
そのような断定をする必要もない。
より深刻なのは、秘密の共謀がなくても、同じ結果が生まれ得ることだ。
WHOは感染症対策を推進する。
Gaviは市場を形成する。
製薬企業は売上を増やす。
厚生労働省は国際勧告へ対応する。
審議会委員は専門家として発言する。
国会議員は官僚の説明を受けて法案に賛成する。
自治体は法律に従って事業を実施する。
全員が自分の役割をこなす。
その結果、
- 製薬企業には予測可能な巨大市場が生まれる
- 費用は公費で支払われる
- 国民は価格を意識しない
- 自治体は独自に拒みにくい
- 導入しない側だけが責任を負う
- 誰も全体の結果に責任を取らない
という構造が完成する。
これは陰謀ではない。
政治が全体を統制せず、各組織の論理をそのまま通した結果である。
つまり政治の怠慢である。
今すぐ必要な制度改革
国民の信頼を取り戻すには、広報や啓発では足りない。
制度そのものを変える必要がある。
1.製薬業界代表からGaviの議決権を外すよう日本政府が要求する
メーカーは公開ヒアリングで意見を述べればよい。
市場形成、需要保証、価格、資金配分に関する最終決定へ参加させるべきではない。
2.審議対象企業から金銭を受け取った委員は、金額に関係なく結論形成から外す
専門知識が必要なら参考人として説明を求める。
質疑終了後は退席させ、勧告文作成と議決には参加させない。
3.企業グループ単位で全ての支払いを合算する
親会社、子会社、販売会社、関連財団、実質的な資金提供団体を含め、最終的な支配企業単位で集計する。
4.正確な金額と支払目的を公開する
「50万円以下」では不十分である。
企業名、金額、日付、講演料、原稿料、研究費、寄附金、コンサルタント料などの名目を公開する。
5.大学・研究室・学会など組織への資金も公開する
個人への支払いと区別しつつ、国民が関係性を確認できるようにする。
6.虚偽申告への実効的な制裁を設ける
故意の虚偽や重大な過失の場合は、委員解任、一定期間の再任禁止、氏名公表、当該審議の再検証を義務づける。
7.重大な利益相反違反があった審議は必ずやり直す
「申告を訂正して終了」では、制度への信頼は回復しない。
8.WHO勧告から独立した国内評価機関を設ける
WHO、製薬企業、厚労省、既存審議会から独立した機関が、日本国内データを用いて有効性、安全性、費用対効果、総予算を再評価する。
9.費用対効果に明確な採用基準を設ける
基準を超えた場合は、原則として価格引下げ、対象者限定、季節限定、不採用のいずれかを選ばせる。
10.年間総予算を法案・導入決定前に公開する
薬剤費だけでなく、接種費、流通費、事務費、廃棄費、副反応対応費を含む総額を示す。
11.成果連動型の契約を導入する
予想した入院減少、重症化抑制が達成されなければ、企業へ返金や値下げを求める。
12.国会議員と製薬業界との関係を法案ごとに公開する
献金、パーティー券、業界団体との面会、政策要望を、採決前に国民が確認できるようにする。
結論――政府が守っているのは、国民か、それとも制度に乗った市場か
ワクチンや抗体製剤が、多くの命を救う可能性はある。
有効な医薬品を必要な人へ届けることは、政府の重要な役割である。
しかし、「命を守る」という目的を掲げれば、どのような価格でも、どのような利益相反でも、どのような制度変更でも許されるわけではない。
命を守る政策であるからこそ、通常の公共事業以上に厳しい透明性が必要である。
国際機関のお墨付きがある。
専門家が推奨している。
法律が整備されている。
審議会が了承した。
自治体が実施している。
こうした言葉を積み重ねても、誰が最終的な責任を取るのかは見えない。
製薬企業は商品を売る。
国際機関は推奨を出す。
厚生労働省は制度を作る。
審議会は専門的評価を行う。
国会は法案を通す。
自治体は実施する。
そして費用は国民が負担する。
それにもかかわらず、制度全体の妥当性を検証し、問題が起きた際に責任を取る者がいない。
これが現在の最大の問題である。
国民が求めているのは、ワクチンや薬を無条件に否定する政治ではない。
必要なものは導入し、不要なものは断り、高すぎるものは値下げさせ、利益相反がある者は意思決定から外す政治である。
WHOに従うだけの政府はいらない。
官僚の説明を追認するだけの国会もいらない。
製薬企業との関係を曖昧にしたまま「専門家を信じろ」と求める審議会もいらない。
必要なのは、日本国民の生命、財産、税金に対して、自ら判断し、自ら説明し、自ら責任を取る政治である。
薬やワクチンへの信頼を失わせているのは、疑問を持つ国民ではない。
疑われる制度を放置し、説明責任を国際機関と専門家へ転嫁しながら、国民にだけ従順さを求める日本政治そのものである。
信頼は「安全です」「専門家が決めました」という広報では生まれない。
売り手と決定者を分離すること。
利益相反を完全に公開すること。
高額な製品を断れる制度を作ること。
虚偽申告へ罰則を設けること。
公費支出の全体像を国民へ示すこと。
そして政治家自身が、決定の責任を引き受けること。
それを実行して初めて、政府は「国民の命を守っている」と名乗る資格を持つ。
【記事作成時点:2026年7月28日】
【主な参考資料】
・厚生労働省「厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会参加規程」
・厚生労働省「抗体製剤を予防接種に用いることに関する制度的検討資料」
・厚生労働省「RSウイルス感染症に対する予防接種施策の検討資料」
・厚生労働省「定期接種に係る費用・価格形成に関する資料」
・衆議院「予防接種法等の一部を改正する法律案」
・参議院「予防接種法等の一部を改正する法律案審議情報」
・WHO「RSV予防に関する勧告」
・Gavi「Market Shaping」
・Gavi「Board Members」
・外務省「Gaviワクチンアライアンスに対する日本の協力」

